こんにちは、リベルテです。
リベルテに通ってくださる子どもたちと関わるようになり、早くも3カ月が経ちました。
実は同じ時期から、フリースクールにて英語の授業を担当させていただいており、ありがたいことに最近は、小学生や中学生の生徒さんと関わる機会を多く頂戴しております。
その背景はさまざまで、いろいろなタイプのお子さまに出会いますが、子どもたちと関わらせていただく中で感じることは、その驚くような成長の速さと、礎となる環境の大切さです。
英語やだなー…の雰囲気からはじまる授業

わたしがフリースクールで英語を教えるとき、たいていのお子さんは初めて受ける英語の授業にとても不安そうな表情を浮かべます。さらに、ひとりひとりに発言の機会を設けると、心底嫌そうな顔をして顔を隠したり、「えーできないよー」という消極的な言葉がきかれたりします。
まちがえたらどうしよう、恥ずかしい、といった不安や恐怖心。
みんなが自分の発言に注目している緊張感。
大人でも、多くの人がいやーな瞬間ですよね。
かくいうわたしも、人前でしゃべることがとっても苦手です。
それでもわたしは、なるべく子どもたちに「言わない」という選択肢を与えず、挑戦してもらいます。ちょっといじわるかもしれませんが…。しつこいくらいにヒントを与えて、自分で答えにたどり着いてもらいます。
あえてプレッシャーをかける理由
一見すると上記はストレスがかかっていて良くない状態のように感じます。しかし、これはある意味、チャンスの瞬間でもあるとわたしは考えています。
何にも挑戦しなければ、失敗することもなく安全にすごせるかもしれません。もちろん、自分のこころを守るために、挑戦しない選択肢も時にはありです。しかし、挑戦しなければ成功は生まれず、成功体験も得られません。成功体験は自己効力感や自己肯定感を獲得していくために、とっても重要な経験です。これを積み重ねられるか挫折するかで、エリクソンのいうところのアイデンティティの確立をクリアできるかどうかが分かれてくるのではないかと思います。
ちょっと話がよこに逸れましたが、つまり、挑戦は成功のもとということです。
挑戦は、成功のもと
失敗したらどうするの?失敗体験が積み重なって、余計に傷つくのでは?
と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、たいていの場合は大丈夫です。
なぜなら、「挑戦できた」ということがすでに素晴らしく、成功体験のひとつになりうるからです。答えにたどり着けなかった場合は、「発言できたね!よくがんばった!」と声をかけるようにしています。もし発言することができなくでも、「挑戦したね、すごいことだよ」といった具合の声かけをします。もちろん、それで100%うまくいくわけではありませんが…。実際にわたしもそれで子どもを泣かせてしまったことが一度だけあり、猛反省した経験もあります。
そんな時はその子と一緒に、反省会をしてみてもよいかもしれませんね。つらい時に誰かが寄り添ってくれた経験も、きっと大切な糧になるかと思います。
大人の失敗とは裏腹に、猛成長していく子どもたち
毎回の授業で「今日もやらかしたなー…。」とひとつひとつの声かけや自分の態度についてひとり反省会を行うわたしですが、そんなわたしとは裏腹に子どもたちは毎週ものすごいスピードで成長していきます。
初回は「やめとく」、「見とくだけにする」と言っていた子が、今では授業の中心となって活躍していたり、はじめは顔を隠してほとんど話してくれなかった子が「先生、ひとつ聞きたいことがあります」と自らみんなの前で質問をしてくれたり。
子どもの成長ってほんとうに素晴らしいな、大人も見習わなくては。
といつも感動を与えてくれます。
環境が子どもたちに与える影響
英語の授業をさせていただくなかで、子どもたちの成長を日々感じておりますが、これは決してわたしの授業内容が影響しているわけではないと思います。なぜなら、子どもたちはすでに素晴らしい土台をもっているからです。
その土台というのはきっと、今までの人生経験やフリースクールに通うなかでも、積み上げられてきたものなのだろうなと感じます。ちょっと嫌だけど何かに挑戦してみる。成功したら「自分もできるんだ!」とすぐに自信につなげられる。これは、周りに自分を肯定してくれる人や見守ってくれる人がいて初めて体感できることです。
何をやっても「ダメ!全然できてない!」と否定されてばかりでは、大人だって少しずつこころを削られて、次第に無気力になっていきますよね。
周りに自分を肯定してくれる人がいる。
その人たちの言葉を受け取りながら、自分でも自分を肯定できるようになる。
個人的にはこういったこころの発達過程で、その後の人生の生きづらさの度合いが変わってくるように思います。
ふと、疑問に思う。なぜこの子たちは学校に行かない?行けない?
リベルテの子どもたちと関わっていても感じることですが、こんなに素敵な子どもたちがなぜ学校に行かない、または行けなくなってしまうのだろう、ということです。
学校の内部をくわしく知っているわけではないので、現代の環境がむかしとどのように変わってきているのかは人づてにお話を伺う程度ですが、自分が不登校で学校に行けなかったことをいまだに後悔している分、子どもたちには選択的不登校であるならまだしも、同じような思いはしてほしくないなーと、ついつい大人のエゴが顔を出してきてしまいます。
担任の先生やクラスが変わったら学校に通えるようになった、という話もときどき耳にしますが、やはり何においても子どもたちを取り巻く“環境”というのは、重要なのだなと実感します。
このあたりはわたしももっとくわしく、学んでいきたいなと思っているところです。
不登校について考える
ただ、学校に行くことがすべてではありません。
学校という他人に決められた環境に定期的に通うことは、ある意味ではよい訓練になりうると思いますが、決して自分のこころを失ってまで、行かなければならないものではありません。
学校でしか学べないこと、その他の環境でしか学べないこと、双方にあると思います。わたしは不登校について肯定派でも否定派でもありません。ただ、関わりをもたせていただいている子どもたちに対して願うことは、自分の人生を楽しんで生きられるよう、自分で生きていく力を身につけてほしいということです。
ひとりの支援者として願うこと
精神科の看護師として、まだまだ先輩方に比べれば短い経験の中でも、ほんとうにさまざまな患者さんと出会ってきました。
こだわりの強さからうまく環境に適応できない。
合理的配慮の枠をこえたかかわりを周囲に求めてしまう。など。
環境には、変えられる範囲や限度があります。
社会のなかで、自分を取り巻く環境をすべて思い通りに整えることは不可能です。
だからこそ、生きづらさを少しでも減らしていくために、子どもたちには適応する力や方法も身につけていってほしい。
わたし自身も人間関係がうまくいかないことが多く、いまだに悩むことが多々あります。
子どもたちに一方的にこうしろああしろというのではなく、一緒に学び、対処する道を見つけ出していく。そのようなスタンスと関わり方の中で、少しでも子どもたちの役に立つサポートが届けられればと常々考えています。
まだまだ支援者として未熟ではありますが、できることを、手の届く範囲から。
リベルテの今後の活動が、みなさまの一助になれればと願っております。